とうとうこの日がやって参りました。
離日です。






異国の地へ異国の伴侶の元へ嫁ぎます。
退職してからの日々がダラけていた割には何だか毎日がとても早く何だか多忙に過ぎて行きました。
ステさんと出会って約1年6ヶ月。たったそれだけしか経っていなかったのでした。
でも毎日がとても早かったです。ここまで来るのに。
結婚を決めた頃は、とてつもなくまだ先なんだな…とお互いにリアルに逢えない寂しさを我慢するのに茫然としたり、励ましあって頑張って来ました。
WEBカメラチャットと国際電話だけがお互いにもっと近付いていたい、感じていたい、確かめ合っていたいという繋がりの手段でした。
その間、今回のステさんのお迎え来日を含まずに二回の来日。
最初は父は本当に結婚するつもりで居るとは思っていなかったらしく、初めての来日でそれも初対面の日が2007年の1月1日元旦


という年の始まりの日。
目の前に居る、華奢で外国人にしては小さめなヒゲ面ロン毛の若い男。
お互いに言葉は通じませんが、お互いに意識し合い気に入り合い何だか知らないけれど通じ合っていたあの嬉しい日。
母が何かと私をフォローしてくれて、最後の最後まで面倒をかけっ放しでした。
小さい母はバイタリティに溢れるひょうきんだけれど穏やかな女性。
父の心配をあの子なら大丈夫よとフォローしてくれました。でも、母もそれ以上に私を心配して何かと目をかけてくれていました。
いつでも私の味方で叱咤激励をし、いつも私の背中を押してくれたし、私の暴走に歯止めをかけてくれていました。
仕事を辞めてからの約2ヶ月少し。
実家に居る時間が長かったのですが、毎日毎日忘れまいとどんな些細な事でもその瞬間の音や匂いや温度や光景を焼きつけておこうと必死だったりしました。
離日が近付くにつれ、本当にこれで当分こうやってここに居る事が出来なくなるんだな、そう簡単に今までみたいに帰って来れなくなるんだな…と思うと胸が張り裂けんばかりでした。
何でもないテレビを観ながらも泣けてくるのでした。
ステさんは私が寂しがると不安になります。そしてゴメンね…とそっと謝って来ます。
そうやって気遣ってくれるステさんにも悪いです。だからなるべく明るく振舞ってステさんにそんな哀しい気分にさせないようにしてきました。
出来る限り…
私は日本人として日本で生まれ日本でこの両親と家族の元で育った事を誇りに思います。
そして一生忘れません。親はいつまでも生きていると思うなと母から言われて来ました。
モチロンそう思います。
だからこそ、両親と家族にこれ以上の迷惑をかけたり心配させたりしないように、今度は日本人の立派な女性であり近い内に母になれるよう、両親達の自慢になれるように今まで教えられて来た事を思い出しながらゆっくり生活していこうと思います。
父が以前、私が離婚をして一人暮らしをしてという生活をしている時に少し心配をしていたみたいだと母が後から教えてくれました。
このまま大した仕事をする訳でもなく、自分が生きていく為だけのお金の為だけに仕事をし、ゆとりがある訳でもなく猫と細々と家に居るだけで一人で生きて行くのだろうかと。
私もそれは考えていました。次の結婚はチャンスがあったらすればいいし、無ければ無いで何か勉強でも始めて一人で一生自分を食べさせていく為に生きていこうと。
両親にはなるべく面倒をかけずに、私が助けてあげられるように頑張って地道に静かに生きていこうと。そう考えていたのでした。
人生は一度きり。やってみなくちゃ解らない。やってダメなら次に行けばいい。
と、母は教えてくれました。父は黙って見守っていてくれました。
そんな素敵な両親だったからこそ、今までの痛い経験も何もかも否定せずにいてくれて、いつでも迎えてくれたのでした。
私もそんな両親のような人間になりたいです。

お父さん、お母さん今まで本当にありがとうございます。
これからもずっと変わらずに二人を愛しています。
何かあったらすぐに飛んで戻るから隠さないですぐに連絡してください。
体調悪くなったら我慢したり自己判断せずに早く病院に行って診てもらってください。
絶対に無理をしないでください。
重い物を持って頑張ったり、雨の日に自転車に乗ったり、高いヒールを履いて自転車に乗ったり、一人で我慢して抱え込んだりしないでください。(特に母へ贈る

)
私はどこに居ても何をしていてもいつまでもいつまでもあなた達の娘です。
次に生まれてくる時も私はあなた達の子供として生まれてきたいです。
ちょっと遠くになるだけ。気ままに帰って来るのがちょっと難しくなるだけ。
それじゃあ行って来ます


追記:新しいBlogの準備が出来ています。また、ドイツに着いたらアップするですよ
